The World Is Your Oyster

英語勉強法、留学、国際交流、海外旅行や日々の出来事について徒然なるままに書いていきます。

スーパーマンにはなれない

自分はスーパーマンにはなれないなぁと思った金曜日の夜。

最近、仕事関連でうまくいかないことや、自分の実力不足を痛感することが多くて、少し落ち込み気味になる。

 

周りと比べて、自分のできないところばかりに目がいって、自己嫌悪に陥る。

周りにはスーパーマンみたいな人がたくさんいて、本当に努力して、成功してキラキラしていて(少なくとも私にはそう見える。本人からしたら、血のにじむような努力や葛藤が陰にあることは分かってる)、尊敬すると同時に、自分はどうして同じくらい頑張れないのか、努力できないのかと失望する。

 

レベルやモチベーションの高い人たちに囲まれることで、モチベーションがあがって、自分も頑張ろう!と思えるのはいいことだけど、時としてプレッシャーにもなるし、自己嫌悪に陥ることもあるから難しい。

 

頑張りつつも、自分の心も守らなきゃいけない。

 

通訳翻訳を仕事にすると決めた時から、自分にとっては険しい道のりになること、永遠に勉強し続けなきゃいけないことは分かっていたのだけど、なかなか辛い時もある。

 

一歩大きな階段を昇れたと思っても、目の前にはもっと大きな階段がどんどん現れる。果てしない。上には上がたくさんいる。自分はどこまで行きたいのか、どこまで行けばいいのか、難しい。

 

好きなことを仕事にすることは、幸せなことだけど、同時に辛いことなのかもしれない。分からないけど。

 

こうやって文章にすると少しは気持ちが楽になる。

頭の整理にもなる。

 

自分の心を守りつつ、頑張ろうと思った金曜日の夜。

 

 

伝えたい記事を翻訳する(闘病記①)

通訳学校の授業も終わり、久しぶりにゆっくり好きな本を読んだりしている。

仕事で翻訳を本格的にやるようになって、時間がある時にやってみたいことがずっとあった。

 

それは、自分が伝えたい!と思った記事(まだ翻訳されていない記事)を英語/日本語に自分なりに翻訳してブログで公開すること。

 

時間ができたから、やろう!と思って、翻訳し始めたのだけど、そもそも、勝手に自分なりに翻訳して、それをブログに載せて問題ないか調べてみたら、やはり元の記事の所有者に翻訳許可を取らないと、翻訳権に違反するらしい。

 

個人ブログでは、英語の演説とかを自分なりに翻訳しました!と公開しているのもあるみたいだけど、リスクがあるのでそれはやめようと思った。

 

なので、自分で練習として翻訳して(翻訳全文は公開せず)、翻訳するのに苦労した表現や、勉強になった表現を備忘録としてこのブログに残したいと思う。

 

なんでこんなことを始めようと思ったかというと、もちろん翻訳力・語彙力向上のためでもあるけど、やっぱり、自分で翻訳して伝えたい!って思って翻訳した表現は自分のものになる(身に付く)かなと思ったから。

 

今日翻訳する記事は、こちらのNHKの記事。

 

www3.nhk.or.jp

 

・(新聞などを)めくる→ flip over 

turn overはすぐに出てくるが、flip overになると、なかなかパッと出てこない。

 

・闘病記(ここでは癌)→ cancer journey article 

この訳語がなかなか曲者。日本語だと、「闘病記」ってよく聞くけど、googleで検索しても、しっくりくる英語がヒットしない。「闘病」は fight [battle] against disease(癌ならfight against cancer)なので、fight against disease journal [article] などでも意味は通じるのだろう。ここで、あえてfightではなくjourneyを選んだのは、調べていく中で面白い記事を見つけたから。

mamoruichikawa.hatenablog.com

 

「闘病」を battleではなくjourneyと表現するようになっているという話。

勝ち負けのあるbattle/fightではなく、長い道のりを意味するjourneyを使うことが多いということらしい。深い。journeyは非常に便利な単語だと思う。仕事で英日翻訳をしていても、journeyがよく使われている。このjourneyは、長い時間をかけて別の状態に変わるようなことを表現する時に使われるけど、例えば、会社の取り組みなどを紹介している文章で our journeyと出てきたら、「当社のこれまでの取り組み」「当社のこれまでの道のり」など文脈に合わせて訳す必要がある。

 

上記のブログで筆者の方が、cancer journeyを「がんとの旅路」と訳したら周りにダサいと言われたと書いてあったけど、確かに、この場合のjourneyは難しい。

 

長々と書いてしまったけど、日英翻訳する際に、闘病記は配慮しながら、今回の原文の場合は、 "cancer journey article"と自分なら訳すかな(癌を患っている方の話なので cancer)。

 

・訃報→obituary / news of someone's death 

 

自費出版の本→self-published book

 

・(癌が)脳に転移する→ metastasize to one's brain

 

・頭が割れるような頭痛→ splitting headache

 

・癌の再発→ recurrence of cancer / cancer reccurrence 

 

・癌は私たちに死を意識させる病気だ→ cancer makes us be aware of our mortality 

この表現難しい.....いい表現があれば教えてください(切実)

 

・私がその宣告を受けたのは4年前で、記者になって14年目のことだった。

→It was four years ago when I was diagnosed with cancer, 14 years into my career as an journalist.

*最初は14 years after I became a journalistにしていたんだけど、調べたら ~ years into one's careerが出てきた。こういう表現はまだまだ自分から出てこない。

 

長いので今日はここまでにします。

知らない単語ばかりだなあ......

もっと勉強しなくては。

 

 

 

 

 

 

通訳学校秋学期終了

先日、通訳学校の秋学期が終わりました。

 

秋学期はちょうど転職のタイミングと重なったので、新しい仕事と通訳学校の授業の両立ができるか心配だったのですが、なんとか無事に乗り切ることができました。

 

ちょうどいいタイミングなので、この半年を振り返ってみたいと思います。

 

〇できたこと

  • 毎日コツコツと勉強すること。どんなに仕事で疲れていても、隙間時間を見つけてBBCやCNNを聞いて英語に触れることができた。
  • 予習復習の自分なりの進め方を確立できた。これは、今後の仕事や、将来的にフリーランスになった際の準備にも役立つかなと思う。
  • いい意味で、「通訳学校の授業が全て」という想いがなくなった。通訳学校に通い始めた時は、とにかく最短で進級・卒業したいと思っていたが(もちろん、その意気込みで集中して学習することは今でも大事だと思うけど)、通訳翻訳を仕事にするようになって、通訳学校はあくまで自分の能力を高めるために行っているのだから、進級することが最終ゴールではないと思えるようになった。(でも、やっぱり早く同時通訳科に行きたい!あとちょっと.....)
  • 背景知識の充実。これにつては、日々の社説記事(日英両方)のルーティンで鍛えられたこともあるのかもしれないけど、通訳学校に通い始めた時と比べて、幅広い分野の背景知識がついて、特に日英の通訳で役立つようになった。1年前までは、軍事・防衛の分野は本当に苦手だったのだけど、今期のトピック「日米同盟」では、力がついているのを感じた。

〇できなかったこと

  • 初見通訳力の底上げ。期末テストの自分のパフォーマンスを聞いて感じたのが、初見教材の通訳の質が(1回聞いたものや復習と比べて著しく)低いということ。これは当たり前なのだけど、基本的に現場や仕事では一度しか聞けないので、初見でどれくらい正確に、スムーズに質の高い通訳ができるかが今後の大きな課題だと感じた。
  • 語彙力強化。毎週の予習復習で手一杯になってしまい、意識的かつ集中的に語彙力を強化する時間が取れなかった。授業でも、「自分はこんな簡単な単語でさえすぐに口から出てこないのか」とがっかりしたこともあった。
  • 実践練習。復習の際には、実際の教材で通訳をしながら練習はできたが、予習の際に、関連トピックの動画を使って自分で実際に通訳の練習をするまではなかなか至らなかった。やはり、圧倒的な練習量が必要だと感じた。

 

期末テストの結果は2週間後くらいに届く予定なのだけど、手ごたえは40%くらいです...

今いるレベルから、次のレベルへの進級率がとんでもなく低いようで、私も今のクラスは今期が2回目です。でも、前期よりは力は着実についている感覚はあります。

 

結果はあまり期待せず、少しリラックスしながら、学期中にはなかなかできなかった勉強も進めていきたいと思います。

 

あっという間に4月ですね~。早く桜が見たい。

 

色々と心が落ち着かない世の中ですが、今日も平和な日曜日になりますように。

 

ダイヤモンドになりたい

今日のブログは英語、通訳、翻訳には全く関係ないのだけれど、ちょっと書きたい気持ちになったトピックがあったので、書いてみる。

 

先日、Twitterを見ていたら、綺麗なダイヤモンドの写真と共に、「墓は要らん!

と言っていた父。遺骨をダイヤモンドにする為に昨年の夏からスイスに行っていましたが、最近帰って来たようです!」という投稿が。

 

一瞬、何を言っているか理解できなかったのだけれど、スレッドを読み進めると、どうやら、遺骨から人工ダイヤモンドを製作する「メモリアルダイヤモンド」というものがあるらしい。

 

こちらの記事にツイートも合わせてまとめられている。

nlab.itmedia.co.jp

 

遺骨に含まれる炭素を取り出して、高圧高温で処理をして合成ダイヤモンドを製造するらしい。確かに、ダイヤモンドも炭素からできているなあと思った。

 

遺骨中の成分によって、ダイヤモンドの色合いも少し変わるらしい。

 

個人的に、すごくいいアイディアだなあと思った。

 

最近、不慮の事故や、自然災害、突然死などでもし自分が死んでしまったら?と考えることがある。(そんなことはあってほしくないけど)もし、そうなってしまったら、お母さんとお姉ちゃんに、私の遺骨をダイヤモンドにして身に着けて欲しいなと思った。

果たして2人が私にダイヤモンドになって欲しいと思うかは分からないけれど。

 

そしたら、いつもそばにいられるし、一緒に色んなところにも行けるし。

ダイヤモンドになるために、スイスにもいけるし(遺骨だけど)。

 

でも、ダイヤモンドを作るには、かなりの量の遺骨が必要らしい。

そして、一番小さいサイズのダイヤモンドでも、製作費は50万円ほどかかるみたい。

 

あと、髪の毛から作る、ヘアーダイヤモンドや、ペットの遺骨から作るダイヤモンドもあるみたい。

 

やっぱり、時代の流れとともに、お墓はいらない、お葬式は家族葬だけでいい、その代わりに、大切な故人とずっと近くにいたい、と思う人が増えているのかなと思った。

 

でも、こういったものには、やはり賛否両論あるみたいで、そもそも遺骨を使って製造することに抵抗があったり、本当に遺骨からダイヤモンドが製造されているのか信頼できない、という意見もあった。

 

あと、個人的には万が一紛失した場合の精神的ショックが大きすぎるのはリスクだと思った。

 

それでも、面白いアイディアだなあと感じた。

Twitterは、こういう全く知らないことを知ることができて、面白い。

 

自分がダイヤモンドになったら、どんな色合いになるのかなあ、なんてどうしようもないことを考える、祝日前夜。

 

実は、今週末は通訳学校の期末テストで、猛勉強しなきゃいけないのだけれど、そういう時に限って、こうやってブログを書いたり、他の調べものをしたくなってしまうもの。

 

ぼちぼち頑張りますか!

 

 

 

言葉の海を漂う

前回の記事から半年以上経過していた。

色々と書きたいことはあったのだけど、仕事や勉強でバタバタしていてなかなか書けないまま半年.....

 

この半年間で色々なことがあった。

まず、初めての転職をした。それも、ずっと目指していた社内通訳翻訳の仕事に転職することができた。人生というのはタイミングとご縁が大切なのだと感じた。

 

前職でも、社内の翻訳や通訳をすることはあったけれど、頻度はとても少なかった。それでも、通訳学校に通ったり、自分でこつこつ勉強したりしてきて、夢は叶うのだなあとしみじみと感じた。

 

上司にも同僚にも恵まれて、毎日新しいことを学びながら、通訳と翻訳を専門に仕事ができる毎日が本当に楽しい。といっても、自分の実力に落ち込んだり、本当に自分にできるのかという不安に(特に同時通訳会議前)押しつぶされそうになる時もあるのだけれど、自分のやりたかった仕事をやらせてもらえる環境に感謝したいと思う。

 

私はどちらかというと、通訳を専門的にずっと勉強してきたのだけれど、今の仕事は割合としては翻訳が圧倒的に多い。

 

毎日どんな感じかというと、タイトルの「言葉の海を漂う」状態なのだ。

私の場合、英→日の翻訳がほとんど。技術や法律系でもないので、どれだけ自然で読みやすい日本語に翻訳できるかが勝負

 

最初の三ヶ月くらいは、業界の言葉や言い回しを覚えるのに苦労してきたけど、最近になって、やっと自分なりの翻訳方法というか、スタイルのようなものが出来てきた気がする(もちろんまだまだ課題は山積みだけれども)。

 

言葉の海を漂う、とはどんな感じかというと、膨大な言葉の中から、その文書、スタイル、雰囲気、著者の言いたいことにピッタリ合い、そして日本語として自然な表現(単語)を、もがきながら見つけ出すという感じ。

 

特に、自然な表現を見つける際に、コロケーションは重要だと思っている。

例えば、デザインを説明している文章で、"XX company uses a logo with flowers"という文章が出てきたら、まず思いつく訳は、「XX会社は花のついたロゴを使用している」だろう。ただ、「花のついたロゴ」ではあまりしっくりこない。そこで、「花をあしらったロゴ」ならどうだろうか。こちらの方が日本語として断然しっくりくる。

 

このような「花のついたロゴ」→「花をあしらったロゴ」に変える作業を繰り返す。これがなかなか難しい。普段から、日本語のセンスというか、言葉の感覚を研ぎ澄ませておく必要があると感じるようになった。

 

しっくり来る日本語がパッと浮かぶ時もあれば、悩みもがいて、1つの単語の訳語を長い時間をかけて悩むこともある。まさにこれだ!という単語を見つけた瞬間は、単語で溢れかえった海から、やっとの思いで顔を出せたようなイメージがある。

 

自分の理想としては、翻訳された文書(日本語)を読んだ人が、それが翻訳されたものだと感じないくらい自然な日本語を目指している。

 

が、これがなかなか難しい。原文作成者との相性もある。論理展開や、言葉のチョイスなど、やはり人によって違うので、この文書はとても翻訳しやすい!という時もあれば、頭を抱えてしまう文書もある(もちろん、自分の英語力、理解力、そして背景知識が不足していることが最大の原因ではあるのだけれども)。

 

言葉の世界は広くて深いものだなあ、もっと本をたくさん読まなくてはいけないな、と感じた。それでも、翻訳の世界は難しくて、そして楽しい。もっと言葉に敏感になりたい。

 

そんなことを思いながら、また月曜日から、言葉の海を漂いながら、頑張ろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近、英語力(通訳力)の波を感じるようになった。

 

英語を勉強し始めて、半年や一年に一回くらい、山を越えたような、レベルアップしたな~と思う感覚を感じるようになった。よく言われる、ブレークスルーみたいなものなのかもしれない。

 

去年、通訳学校に通い始めてからは、特に英日通訳が一気に上達した感じがした。でも、山を越えて、レベルアップしたと感じた後は、そこからなかなか次のレベルに行けない、むしろ、なんか後退しているような感覚になることがある。

今がまさにそんな感じで、クラスのレベルが上がった春以降、英日は、少し後退しているような感じになっている。逆に、日英は去年に比べると、レベルアップした感覚はあったのだけど、それからもう一歩、というレベルがなかなか遠い。

 

英語学習や通訳学習も、きっと小さい波がいくつもあって、でも長い目で見れば、右上がりになっている、そう信じたい。

 

通訳学校には色んな人がいて、フルタイムで働きながら、子育てしながら通っていて、予習復習もめちゃめちゃ時間をかけてこなしている人もいたり、仕事がすごく忙しくて睡眠時間もあまりない中、時間を見つけて勉強している人もいて、自分はまだまだ気合が足りないな~。他のクラスメイトより、時間はたっぷりあるはずなのに、全然勉強できていない、なんて思ったりもするのです。

 

でも、やっぱり自分のペースで頑張らないと、メンタルも体力も続かないということが分かりました。前学期は少しハイスピードで飛ばしすぎたので、今学期は心も身体も健康に保ちながら頑張ろうと思います。

 

なんて思っていても、あと一か月で期末テストになります。

本当に半年ってあっという間だな~と思います。

 

英語学習ということで、こんな素敵な中国のことわざを見つけました。

"To learn a language is to have one more window from which to look at the world."

 

勉強が辛い時でも、英語の楽しさを忘れずに頑張りたいなと思った土曜の夜でした^^

 

 

メンタルの保ち方

ブログを一週間に一度は更新したいと思いながらも、なかなか更新が出来ないでいて、気がついたら6月も中旬になっていた。

 

通訳学校も2期目に突入して、なんとなく最近は勉強のモチベーションを保つのに苦労していた。英語・通訳が好きで極めたい、将来、通訳の仕事をしたいという気持ちから通い始めた通訳学校だけど、ここら辺に来て、少しスランプ気味に。

 

授業や勉強をしていて、楽しいと思うことはもちろんあるのだけれど、週末も必死になって勉強していると、ふと、あれ?何で私って平日にフルタイムで仕事してるのに週末まで必死に勉強してるの?と思ってしまうこともしばしば。

ましてや、SNSで友達が楽しそうな投稿をしていると、いいな~自分も遊びたい.....と羨ましく思ってしまい、そう思う自分が嫌いになるという負のスパイラルに陥る。

 

もちろん、自分で頑張ると決めて通訳学校に通い始めたわけで、そして遊びたいなら自分も遊べばいいわけで。

 

コロナ感染拡大してから、ずっと続けていたホットヨガを辞めて、在宅勤務も増えて、家で過ごす時間が増え、運動を全然しなくなって、体重は増え、2年前は全然気にしないで来ていたノースリーブスの服が、二の腕が気になって着れなくなって、ついに我慢の限界が来て、ホットヨガを再開することにした。

 

コロナのリスクをずっと懸念していたのだけど、実際に前に通っていたスタジオに見学に行ったら、コロナ前とはかなり違っていて、感染症対策が徹底されていた。

 

再開して1週間経つけれど、運動して汗をかくのが、本当に気持ちいい!と感じた。もちろん、この1年半の運動不足でかなり体力は落ちて、今まで平気でとれていたポーズもかなりきつくなっていた。

 

でも、体を動かすことで、びっくりするくらいストレス発散になるし、集中力も上がることに気づいた。

 

やっぱり、運動は大切なんだと改めて気づいた。実は、数か月前は、コロナで家族や友達に会えずに、かなり精神的に参っていた。その時に、メンタルヘルスって大切なんだな~と改めて思った。

 

感染症対策をしっかりしながら、ヨガを楽しんで、8月までには、コロナ前の体重に戻したいな~と思ってる。

 

通訳学校は、ちょうど折り返し地点に差し掛かり、中間試験が終わった。

半年前よりは確実に成長しているとは感じるけど、なかなか、満足のできる通訳ができない時が多くて、落ち込む。

 

あと、最近、通訳のモチベーションが上がらない理由の一つに、機械翻訳の脅威がある。何年も前から言われていたことだけど、いずれ、通訳翻訳者の仕事のほとんどはAIに置き換わると。もしくは、完全には置き換わらなくても、人間が機械翻訳をチェックして編集する仕事がメインになるなど。私が大学生の時から言われていたことだけれど、最近の機械翻訳は本当にすごい。

 

特に、DeepLという機械翻訳は、無料版でも、クオリティーがかなり高くて、実際に使ってみてびっくりした。

 

試しに、このブログの一部をDeepLで翻訳してみよう。

"Also, one of the reasons why I haven't been motivated to interpret lately is the threat of machine translation. It has been said for years that eventually most of the work of interpreters and translators will be replaced by AI. Or, even if they are not completely replaced, humans will be mainly responsible for checking and editing the machine translations. This is something I've been hearing since I was a university student, but machine translation is really amazing these days.

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)"

 

参考に画像も貼り付けますね。

f:id:sunflowershine:20210612220743p:plain

 

どうでしょう?びっくりするくらい正確です。無料版でこのクオリティーです。

 

これでは、通訳者・翻訳者も頭を抱えてしまいます。

通訳学校でも、先生は、生身の人間にしかできないような通訳を考えるように、というアドバイスをくれます。

本当にその通りだな、と思います。

でも、機械翻訳がこのレベルまできてしまうと、ドラえもんの「ほんやくコンニャク」レベルじゃないか!と思わずにはいられません..........

 

あと、機械翻訳関連のニュースで言えば、AI翻訳のロゼッタという会社が、「英語禁止令」を出したことも話題になりましたね。

 

ledge.ai

 

AI翻訳で母国語だけで社員がコミュニケーションを取れるような仕組みができたからこのような流れになったとのことです。もちろん、自社のAI翻訳の質の高さをアピールすることが目的でしょうが、英語が「禁止」されてしまうことは、やりすぎなのかな.....と個人的に思います。

 

自分が好きな言語で話しちゃだめなのか.....と。(なお、ネイティブ並みに英語が話せる人は、許可を取れば英語で話してもいいらしいですが、許可制って.....)

 

AI翻訳がどれだけ進化しても、人間は言語を学び続けるだろうし、20年後も日本人は頑張って英語を学んでいると思う(というか思いたい)。

やっぱり、自分の気持ちを、自分の言葉で伝えるということは、続くのではないでしょうか。

 

今日は取り留めもなく、最近自分が思っていることを書いただけのブログになってしまいました。

 

とりあえず、通訳学校の残り半分も、無理しすぎない程度に頑張りたいと思います。